クジラのよしなしごと。

ひとつの小さな約束があるといい。

フジとさんまとオザケンと。(1)

爆死

先日放送されたフジテレビの「27時間テレビ」が、視聴率過去最低という爆死を成し遂げたという。

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合掌。



私も旅先や自宅で、断片的にちらちらと観ていた。
「顔だけ有名人そっくりさんで100万円!」や、「キスマイ(?)の、かっこいいキス選手権」と、まるで後期「いいとも!」の、存在意義のよくわからないコーナーをだらだらと見せられている気分で、なんだかいたたまれない気分になった。しかしながら、私は例年に比べてそこまで落ち度があったようには思わなかったのだ。

島田紳助がまだ「ご存命」だった頃、「クイズ!ヘキサゴン!」という、中途半端に芸能界に足を突っ込んでいるタレントたちを体よくサバくためだけのバラエティ番組がやっていた。小中学生でもわかるような問題を、おバカに間違えることで笑いをとるタレントたちと、それを小手先であしらう島田紳助の絶妙な不協和音が、なんとも気味悪かったことを覚えている。(この図式だけだったら、さんまの番組で昔やっていた「ご長寿早押しクイズ」における、ボケ老人と鈴木史朗のほうがいいカンケイである)

話が横道にそれた。ともかく、その「クイズ!ヘキサゴン!」という番組が存在したのだ。そしてなぜか、それが世の小中学生(?)の心をつかみ、結構な人気を獲得したことがあり、27時間テレビのメインパーソナリティ(というのか)に、島田紳助とその仲間たち(俗に言う「ヘキサゴンファミリー」)が就任したことがあった。

ここまで十分にヘイトっぷりをしていることでおわかりだろうが、私にとってはその年の「寒さ」といったら、今年の比じゃなかった。

うっすらとした記憶でしか当時の様子を語れないことを謝罪したいが、とにかく寒かったのだ。たとえば、各地方のフジサンケイ系列のTV局と対抗して、27時間の耐久三輪車レースを行ったコーナー。(今となってはバカキャラをすっかり封印した)つるの剛士やら、マーくんの奥さんこと里田まいやらが、泣きながら三輪車をこぎ、その傍らで絶叫しながら応援する。そしてフィナーレでは伸助とともに抱き合って号泣。
そんなに辛いならやらなきゃいいのでは、という突っ込みを、当時彼女に無理矢理観させられた私は、心の中にずっと思っていた。「本家」24時間テレビも、あのマラソンの存在意義はかなり薄いが、一応「マラソンの様子を視聴者に気にさせ、募金をつのる」という目的がある。しかし、27時間の壮大なバラエティを打ち出す、という、非常に自己本位な番組で、さらに泣きながら三輪車をこぐタレントたちの様子を垂れ流すという図式は、寒いとか愚かを通り越して、失笑ものである。

そもそも、27時間テレビ自体が、かなり目的意識の薄い番組である。27時間を使って、フジはいったい何がしたいのか。そこが明確にならない以上、27時間の帯を全部使って、やれ「耐久レース」だの、やれ「ギネス記録に挑戦」だのをやっても全く意味がないのだ。

だったら、ということで今年の27時間テレビはかなり開き直っていた。27時間をかけて継続的に挑戦する!といったような企画はほぼほぼ存在せず、ただフジの人気番組を、やんわりとつないで垂れ流すことで、自己本位な「お祭り」を開いたのだ。これはなかなか画期的で、要するに、ただ27時間放送する番組に共通テーマを設けて、それ以外はなんとなく特番でつなげるという図式にシフトチェンジし、「27時間」のつながりを完璧にぶちこわしたのだ。

中でも「さんまのお笑い向上委員会」はかなり振り切っていた。ゲストに東国原英夫を迎えたことと、生放送である、ということ以外、ほぼほぼ普段の特番と変わらない図式。

さて、この「さんまのお笑い向上委員会」という番組は、普段はもちろん収録で放送されている番組なのだが、その収録は、ゲストを呼ぶまでに何十分、時に数時間という時間を、さんまとひな壇芸人たちのフリートークで潰してしまうという、なんともコスパの悪い番組である。トークの内容は、爆笑問題の太田やネプチューンのホリケン、ずん飯尾など、実力のある芸人ぞろいだけあって流石に面白いように見える。しかし、収録に何時間もかけて、その中から面白い上澄みのトークを放送しているのだとすれば、そのクオリティもうなずける。

この番組を見ていて思うのは、さんまの司会者としての特殊性、特異性である。さんまのMCとしての鉄板の流れは、くりぃむ上田やSMAP中居とは大きく異なる。トークネタを芸人ないしタレントにふり、その発言に「あ〜、〇〇なんですね(なんや)」というふうに、オウム返しに話に乗っていく。ここまでは同じだ。しかし、そのネタを話し終わった時、さんまは「爆笑」するか、「何の話やねん!」と、そのトークを遮り、さらに自分で勝手にオチをつけてしまう。

ちょっと文面ではわかりづらいかもしれないが、ようは、普通のMCが、あくまで「聞き手」で「まとめ役」にまわり、美味しいところはかならず話の主に任せるのに対し、さんまは「あ、面白くないな」と勝手に思ったトークは、話の主導権を奪い、自らの手柄にしてしまうのだ。
「お笑い向上委員会」を見ていると、何時間にも渡る収録の上澄みであるにも関わらず、さんまがひな壇芸人たち手柄を奪う場面が数多く存在する。普通の考えならば、トークが失敗した部分こそカットするべきなのだが、さんまの感覚では、「そこすらも面白く持っていったで!どや!」と、それを視聴者に見てもらうことこそが、この番組の存在意義なのだ。

誤解しないでいただきたいことは、これは、決してさんまに対する批判なのではない。さんまが、それでも番組を成立させてしまう「スター」なのだ、と、そういう視点からの意見である。現に、これをこなせてしまうような、カリスマ性のある芸能人は、今現在さんま以外存在しない。

しかし、そんなさんまのスターっぷりを盛り込んだのにもかかわらず、27時間テレビは「爆死」してしまった。もちろん、それは27時間テレビの他のコンテンツが、さんまの足を引っ張った、と考えることもできるのだが、私があの生放送で感じた「さんま、古いな」という感覚のゆえんも、もしかしたら27時間テレビ「爆死」の遠因なのかもしれない。そう思う。

そのくだりは、また後日に。